近づきたい、離れたいジレンマ
昨今、新型コロナウィルス感染症拡大のなか、みなさま不安な日々を過ごして
いらっしゃると思います。
いままで当たり前だと思っていた生活が、当たり前ではないなと思うことも
時折あります。
また、日常生活が制限され、家族が一緒に過ごす時間や家族同士が関わることも
増えていると思われます。
家族との時間が少なければ、一緒に過ごせる時は楽しみもありますが、その時間が
長くなり関わることが増えることで家族関係のバランスが変わり、潜在的にあった
家族の問題が表面化することも考えられます。
今のこのような状況で不安になることは無理もないことです。
感染に対する不安は言うまでもなく、休業など労働や外出が制限され、収入が不安定
になり、家計の見通しがもちにくくなることは私たちの生活を脅かすでしょうし、
子ども達の学校生活がこれまでのように営まれない状況に、大人も子どもも日々対応
していくことは大変で、様々な工夫をしながら1日1日をお過ごしのことと思います。
不安は苦痛で、できればなくしたい、あまり感じたくない感情ですが、何か対策しよう
と働きかける感情でもあり、私たちにとっては必要で健康的な側面もあります。
したがって、不安があるからこそ、日常生活ではできるだけの予防策を講じて、外出を
自粛するなど感染を抑えることに取り組み、自分や家族など身の回りの人達の健康や
生活を守ろうとするのでしょう。
しかし一方で、適切な対策を講じること以上に過度な不安を抱えると苦痛にもなり、
家族と過ごす時間が増えれば、そのような不安や慣れない状況への個々人のストレスが
家族関係に影響したり、いままでの家族関係のバランスが崩れたりする可能性も考えられます。
Freud.Sは、親しいほどお互いのエゴイズムによって相手を傷つけ憎む心理を
「山あらしジレンマ」と呼びました。
「ある冬の朝、寒さにこごえた山あらしのカップルが、お互いを暖めあおうと近づいたが、
彼らは近づけば近づくほど自分たちの棘でお互いを傷つけてしまう。そこで山あらしは、
近づいたり離れたりを繰り返したあげく、適当に暖かく、しかもあまりお互いを傷つけ
ないですむ、ちょうどよい距離を見つけ出した。」
このショーペンハウエルの寓話から、Freud.Sは、夫婦、親子、男女、お互いが親しくなり、
近づき合えば合うほど利害関係も密接になり、2人のエゴイズム-山あらしの棘-が相手を
傷つけ、心理的な距離がなくなればなくなるほど愛と憎しみの相反する気持ちの
葛藤=アンビバレンスがつのる心理に注目しました。
つまり、人によって針の長さ(痛いと感じる距離)は違うので、私たちは相手への関わり方を
試行錯誤しながら、適度な心理的距離を得て感情のバランスをとっているのです。
しかし、これまでの距離感が取り辛いような状況になれば、お互いの関わりが意図せず
刺激になり感情のバランスが崩れ、アンビバレンスを体験しやすくなります。
そうすると、イライラや不安が生じて、言わなくていいことを口にしてしまったり、逆に
関わること自体を避けてしまったりと相手との関係にも影響を与えます。
これは、家族によっては危機的な状況になりえます。家族のなかで何か問題が表面化した
場合、親子や夫婦が一緒に話し合い解決に向けて取り組むことができれば、新しい関係を
作る、あるいは相手のことをさらに知る機会になるでしょう。
しかし、誤解や行き違いが生じたままであったり、十分に話しえなければ、解決できるかも
しれない問題も硬直し、精神的な負担を抱えて悩みが深くなります。
また、今のような外出自粛の状況下では、外部との接触も減り、DVや虐待などの深刻化や
長期化も懸念されます。
慣れない状況で不安が落ち着かずお困りだったり、試行錯誤をしてみたけど上手くいかないなど
ご家族のことでお悩みの際は、ぜひご相談ください。
Lear More「自分がわからない」「自分がない」という悩み
【あなたは、自分のことが「よくわからない」と悩んだことはあるでしょうか?】
「何を食べたいですか?」と聞かれて、すぐに食べたいものが思いつきますか?
遊びに行く際に「どこに行きたい?」と聞かれたら、行きたい場所が思いつきますか?
自分のことを始めとして、特に緊迫した状況や主体性が求められる場面では、
あらゆることを単に「わからない」と言って済ませている、あるいは済まされている
人も多いのではないでしょうか。
この「自分がわからない」「自分がない」という感覚は、これまで集団や「和」を重ん
じてきた日本人には、誰にでも起こりうる感覚なのです。
そして、現代の日本では、グローバル化やIT化が発展したことで、価値や規範、「らしさ」
の多様化が進み、社会や集団生活における明確な言動の基準、作法が曖昧になっています。
そんな中でも、相変わらず「空気を読む」ことを求められているでしょう。
しかし一方では「自己責任」という言葉に代表されるように、個としての責任ある、考え、
行動を求められる矛盾に満ちた現状があるとも言えます。
すると、周囲に合わせてばかりで、自分の意見や気持ちは「わからない」と言い続けること
は、自分の状況や気持ちを相手に伝えられず、「わかってもらえない」と1人悩んでしまう
かもしれないし、相手に呆れられて目を向けられなくなり人間関係が上手くいかなくなる
かもしれません。
では、「自分がわからない」「自分がない」という悩みには、どう対処したらよいのでしょう?
まずは、実は「今まで『自分』がなかった」ということに気づくことから、始めます。
先ほどの例で言えば、
[ 友人とご飯を食べに行った時をよくよく振り返ってみると、友人と同じものばかり頼んで
いたけど、「実は○○が食べたい」と思っていた。けど、言わないで、合わせていた。]
といったことを、思い出したり、気が付いたりするかもしれません。
この「実は○○が食べたい」という欲求・願望・意志が、本当はあったのに隠れてしまって
いました。
「自分がわからなかった」「自分がなかった」という気づきの体験をきっかけに、
実は「自分は○○したい」「自分は□□という人なんだ」と、今まで見えなかった「自分」を
知っていくことができるでしょう。
カウンセリングでは、具体的で現実的な、「形のある」問題だけを扱うわけではありません。
「何となく自分って何なんだろう」「結局自分は何をしたい(何をしたかった)んだろう」と、
漠然とした自分の「わからなさ」を話しあうこともできます。
カウンセラーは「あなたの自分らしさ」の答えを出すことはできませんが、
「あなたの自分らしさ」を一緒に探す、一緒に見つけ出すことをお手伝いすることはできます。
すぐに気づいたり、わかったりするわけではなく、長い道のりになるかもしれませんが、
「自分のわからなさ」「自分のなさ」について悩んでいる方は、
カウンセリングという1つの探索方法も、検討してみるのはいかがでしょうか。
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心理カウンセリングの役割
診察と心理カウンセリングの違いを感じるのは、診察は治療モデル、心理カウンセリングは
成長モデル、という点でしょうか。
治療とは病気を治したり、(痛み、不安、気分の低下といった)苦痛を和らげることが中心です。
一方、心理カウンセリングは、成長モデル(育成モデル)といっても良いかもしれません。
相談に来られたクライエントの人格(パーソナリティー)を理解し、その方に会ったやり方で
人格の成長促進のお手伝いをするのが役割です。
では、人格とは何でしょう。
人格というのは、極論すればその人がよく選択する行動、思考、感情の傾向と言えます。
その集合体を人格とするなら、その偏り(デコボコ)が人格傾向で、その形は個々それぞれ
独自のものであり、個性と呼ばれるものです。
個性としてのデコボコがあることは悪いことではありませんし、むしろ個性的というのは
誉め言葉でもあります。
しかし、あまりに一部が突出していたり、極端に凹んでいたりすると、社会に適応(適度に
合わせて順応する)できなかったり、適応し過ぎて疲れてしまったり(過剰適応)します。
なぜなら一般社会というのは平均的にバランスよく人格が成長している人に合わせた
社会構造になっている(特に日本はその傾向が強い)からです。
人格の偏りが大きいために社会に適応することに困難を感じてしまうことを人格障害という
言葉で表す場合があります。そういった人格の一部や、全体的な成長を促すお手伝いを
専門的に行うのが心理カウンセリングと言えます。
しかし、人格自体が長い年月をかけて成長してきたものであり、その一部といえども変化
するにはそれなりに時間(数か月以上)がかかりますし、さらに全体的な成長となると
さらに時間(数年以上)がかかります。
植物や動物の成長が一朝一夜では進まないように、人格の成長も時間がかかります。
そのような時間にクライエントに寄り添いながら人格の成長をサポートしていくことが、
心理カウンセリングの役割だと思っています。
Lear More心理カウンセリング②
それでは心理カウンセリングとはいったい何なのでしょう。
心理カウンセリングでは、クライエント(相談に来た人)の悩みを聞く、
話を聞くといったことが基本になっています。
日常でも家族や友人に悩みごとは相談するという疑問はあると思いますが、
それでも45分の間、集中して自分の悩みについて話をするといった機会は、
日常でもなかなか持つことが出来ません。また、同じ悩みを継続的に話し
ていく場というのもなかなか無いと思われます。
同じ悩みの話を同じ人にし続けていると、相手に嫌われてしまう、
周囲に避けられてしまうという不安を感じてしまうことが多いです。
さらにそういった悩みを聞くために特別な訓練を受けた専門家(臨床心理
士、公認心理師等)に話し続けることで、自分への理解が促進され、悩みが
より明確になって解決すべき課題が浮かび上がってきたリ、悩みが整理され
ていったりする傾向があります。
心理カウンセラーはそういった作業を安全に行い、根気よく付き合っていく
ための訓練を受けている専門家です。
もちろん、診察の中でも悩みを相談することはありますし、お話をきいてく
れることもあります。しかし、患者の診察をした上で、悩みを聞くための時間
を確保することは困難な場合が多く、医師が十分に出来ない悩みの相談に乗る
部分を専門的に行うのが心理カウンセリングと言えるのではないでしょうか。
Lear More心理カウンセリング①
前回は診察について説明をしました。
では、カウンセリングはどうでしょうか。
前回のブログでも少し触れたように、カウンセリングという言葉そのものは
自由に使うことが出来ます。美容カウンセリング、学習カウンセリング等、
資格がある場合もあれば無い場合もあり、カウンセリングと言えば、一般的
には相談を受ける行為ということで使われています。
我々が行っているのは、その中の心理カウンセリングという領域ですが、
心理カウンセラーとはだれでも名乗ることが出来ます。
しかし、その中でも以前もブログで触れた臨床心理士、公認心理師は、
法律的に、その資格を持たないものは名乗ることが出来ません。
臨床心理士と公認心理師は国家認定資格と国家資格の違いはありますが
(詳しくは当ホームページブログの臨床心理士と公認心理師についてを
ご参照下さい)こういった資格を名称独占(その資格を持った者しか
名乗ることができない)と言います。
なので、臨床心理士、公認心理師と名乗っている場合は、その個人が
資格を持っていることが前提になります。
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