スキーマと認知 -認知のクセの背景にあるもの-
認知行動療法では、主に認知と行動のクセを扱っていきます。
認知行動療法で扱う認知は「自動思考」とも呼ばれます。
これは自分で「今日のご飯は何にしようかな」など意図的に考えるのではなく、
何らかの刺激に対する反応として自動で浮かんでくる考えという意味で名付けられています。
私たちは日々、大変多くの自動思考を浮かべながら生活していると言われています。
一日のうちで、本当に何も考えずに無心でいる時間がいったいどれくらいあるでしょうか。
きっとほとんどないのではないかと思います。それだけ私たちの生活は大小の刺激にあふれていますし、
人間は考えることがたくさんある生き物だと言うことが言えるかもしれません。
さて、認知行動療法では自動思考の背景として「スキーマ」というものを想定しています。
「スキーマ」は自動思考のベースとして存在する思考の鋳型と言う風に説明されます。
鋳型と言うのは溶かした金属をそこへ流し込んで形を作るためのもので、金属は鋳型に流し込んで
冷やせば鋳型の形になって取り出されます。
それと同じように、自動思考は日々生活する中でポンポンと浮かんできますが、それらは
そもそもスキーマという鋳型から生み出されるので、いずれもスキーマの影響を受けて
スキーマに似た形、つまり似た考えになっていると言います。
スキーマは幼少期の経験を通して形成されると言われています。
例えば幼少期に自分を守ってくれるはずの大人たちから攻撃されて育ったAさんは
「自分は意地悪な他人に攻撃されて、やられてしまう」というスキーマが発達するでしょう。
そうすると、自動思考はそれらのスキーマを通って出てきますから、Aさんの自動思考は
「あいつは自分を馬鹿にしてるんじゃないか」「自分のことを嫌ってるからこういうことを言うんじゃないか」
といった「他人は敵だ」「身を守れ」という色を帯びることが増えるかもしれません。
スキーマは自動思考以上に本人にとっては「そう考えるのは当たり前のこと」に感じられるので、
自分でその考え方が極端だと気が付くのは困難です。
Aさんにとって、他人が自分を攻撃してくる世界と言うのは極端には感じられず、むしろ経験に
裏付けられた真実であり、当たり前なのです。それだけにスキーマを変えることは非常に難しいと言われています。
スキーマに取り組むためのスキーマ療法という技法も試みられてきていますが、それもまた一朝一夕で
どうにかなるというものではなく、それなりに長い取り組みとなります。
人は誰でもスキーマを持っていますし、多くの場合はスキーマに直接触れなければいけないわけではありません。
まずは自動思考(認知)のクセに気が付き、そのクセに取り組んでみましょう。
その中で自分がどのようなスキーマを持っているのか、徐々に認識できるようになれるかもしれません。
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認知のクセに対処するには -認知再構成法とは-
これまで様々な「認知のクセ」を見てきました。
きっとこれらの「認知のクセ」を全く1つも持っていない、という方はおられないのではないかと思います。
1つだけしか持っていないと言う人も非常に少ないでしょう。
このような「認知のクセ」は、ほとんどの人が複数にわたって持っていると言われています。
例えほとんどに当てはまったとしても、それは決して珍しいことではありません。
認知のクセを持っていない人はおらず、多くの場合そのクセの程度、極端さが問題になります。
さて、ではこれらの認知のクセが強くて普段の生活が苦しい、人と会うたびにストレスに
苛まれるような状況に陥ってしまったときに、この「認知のクセ」をどう扱っていけばよいでしょうか。
このような認知のクセにアプローチするための方法に「認知再構成法」という方法があります。
これは実際のストレス状況と、そのときに浮かんできた自分の認知(認知のクセ)、
そして気分・感情を紙に書きだしてみて、その場面でクセとして浮かんできた認知とは違った
別の考え方、見方はできないかについて検討し書き出してみるという方法です。
認知のクセは、クセと言われる通り自分にとってはなじみ深く意識していなくても思わず
出てきてしまうものです。その認知のクセが出てくること自体を「悪いこと」と思う必要はありません。
ストレスを体験したその瞬間に、他の考え方をするのはとても難しいでしょう。
そこで、少し時間がたって落ち着いてから紙に書き出す形で色々な角度からその場面を検討してみるのです。
気持ちが落ち着いた状態であっても「別の考え方」を見つけるというのは、実際にやってみると難しいと
思いますので、別の視点を得るためのヒントとなるような質問として「自分の認知のクセから出てきた
考え方を信じなければならない客観的な証拠が何かあるだろうか?」
「もしこれが自分の親しい誰かが体験したできごとで、その人が自分と同じように考えて悩んでいるとしたら
その人に自分はどんな言葉をかけるだろうか」と自分に問いかけながら考えてみましょう。
自分とは違う考え方をしそうな身近な人に聞いてみるのも1つの手です。
ためしにここから認知再構成法のシートをダウンロード、もしくは印刷して取り組んでみましょう。
「とても良い」「素晴らしい」考えを書かなければいけないのではありません。
思いついたことはなんでも書き出してみましょう。
最初から上手くやろうと思わず、少しずつ別の視点に気が付けることができれば良い、くらいの気持ちで試してみます。
いくつかの考え方を書き出すことが出来たら、気分の変化、やってみた感想を最後に整理してみましょう。
この作業を繰り返しながら、次第に別の考え方、別の視点を得るコツをつかんでいきましょう。
Lear More考え方のクセ⑤「予言の自己成就」
毎回心配した通りの失敗をしてしまうから、人前で話す事や、一人で何かすることや、
誰かと何かすることが本当に苦手だ。
例えば電話が苦手な人がいたとします。
なぜ電話が苦手かと言うと、周りに仕事のできるしっかりした同期や尊敬する上司がいる中で
彼らにがっかりされないように、間違わずにハキハキと受け答えをしなければいけない
(と信じている)からです。
いざ電話をはじめると「もし声が震えたらどうしよう」
「もし話している途中で噛んでしまったらどうしよう」と不安が頭を駆け巡り
普段おしゃべりをしているときには全く意識しないような、話すテンポ、スムーズさ、
言葉の選び方に妙に意識が向いてしまいます。するとどんどん緊張してきてしまって
本当に声が震えてきてしまいました。
「ああ、やっぱり心配した通りになった」「やっぱり自分は電話が向いてないんだ。
なんならこの仕事に向いていないんだ」と、その日は一日散々な気持ちで過ごすのでした。
不安な時には「もし不安に思っていることが実現してしまったら」という最悪な想定を
してしまうものです。しかしそれがただの頭の中のイメージに留まらずに、自分の感情、
行動、身体の動きに作用して平常心が奪われ、普段のパフォーマンスが出せなくなって
しまうことがあります。
結果的に、そこまで考えすぎなければ普段通りにできたものを失敗へと導いてしまうのです。
このように自分が恐れていた結末をそれにこだわるあまり意図せず自分で実現してしまうことを
「自己成就的予言」と言います。
このクセに捉われたまま失敗してしまうと「やっぱり思った通り自分はこれが苦手なんだ」と
自己成就的予言を自分で補強してしまう悪循環へと陥ってしまいます。
意味合いに少し違いがありますが、人間関係においても似たようなことが起こります。
相手に見捨てられたり嫌われたりすることを恐れてその関係に固執するほどに
かえってお互いにうんざりして相手から嫌がられてしまうということがあり、
これは「悲しき予言の自己成就」と呼ばれています。
いずれにせよ自分の強すぎる考えが、自分をかえって望まない方向に自分の恐れている方向に
向かわせてしまっているのではないか?
このように振り返ってみることが不安と失敗の悪循環から抜け出すきっかけになることが
あるかもしれません。
Lear More考え方のクセ④「自己関連付け」
会社で自分のいる部署が関わるトラブルがあった時・・
自分が居る近くで子どもが転んでけがをした時・・
そんな何か良くないこと、悪いことが起こった時に「自分がもっと気を付けていれば
よかったのに」「自分のせいで大変なことになってしまった」といつも自分を責めて
しまうようなことはありませんか?
それはもしかしたら「自己関連付け」という考え方のクセのせいかもしれません。
「自己関連付け」とは、読んで字のごとく、何か身の回りで良くないことが起こった時に
その原因を「全ては(あるいは重要な部分は・大部分は)自分の責任である」と
自分に関連付けてしまうことを言います。
トラブルやミスは誰もがするものですから、場合によってはその理解が
当たっていることもあるでしょう。
ただ、身の回りの些細な事柄から大きな事柄までどんな悪い出来事でも
自分を責めてしまう気持ちや、誰かに謝りたい気持ちが出てくるのであれば
それはちょっと極端かも?と疑ってみても良いかもしれません。
世の中で起こる現象は、それがミスであれトラブルであれ、たった一つの
原因から引き起こされているということはほとんどありません。
この世はもっと複雑です。
子どもが転んでけがをしたのも、子どもが急に走り出したこと、道がきちんと
舗装されていなかったこと、急に呼び止められて子どもから注意が(やむを得ず)
逸れたこと、周りに他に見てくれている人がいなかったこと、様々な原因に
よって結果が生じています。
これを「自分の責任だ」と片づけるのはあまりに単純すぎる気がしないでしょうか。
「責任のパイ」というワークがあります。これは大きな丸を書いてみて、
それを円グラフ(パイチャート)に見立てます。
その出来事(結果)が引き起こされた原因をリストアップして「それぞれの原因が
その結果に何パーセント寄与しているか」をパイを切り分けていくように円グラフに
当てはめていく、というワークです。
子どもが急に走り出したのは30%、道が舗装されていなかったのは20%…などと考えていきます。
そうすると、当初思っていたほど自分の責任は多くないことが客観的に見えてくるのでは
ないでしょうか。
これは「全てあいつが悪いんだ」と怒りが収まらない時などにも役立てることが
出来るかもしれません。
感情は強力で、私たちから客観的に考える力を奪っていきます。
このような方法が客観的に考える力を取り戻すのに役立てば良いなと思います。
Lear More考え方のクセ③「読心術」
もし相手の考えていることが手に取るようにわかる魔法があれば、そんな力が
欲しいと思われるでしょうか。
読心術というのはそういう魔法の事ではなく考え方のクセの1つで、
「こんなことを考えているんじゃないか」「自分のことをこんな風に思っているんじゃないか」と
相手の考えていることを、そんなふうに考えるべき証拠があるわけでもないのに
ごくささいな手掛かりから勝手に推測してしまうことを言います。
例えば、友達とカフェやレストランで談笑している時、ふとした拍子にその友達が
ちらりと時計を確認するような仕草をするとします。
「あ、なにか時間が気になるのかな」と思うのはまだ自然でしょう。
そこからさらに
「自分の今の話がつまらなくて自分といるのが退屈だから早く帰りたいと思っているんだ」と
考えてしまうとしたら、それは読心術を使って相手の頭の中の考えを勝手に決めつけて
しまっているのかもしれません。
まれにこういった考えが当たっていることもあるかもしれませんが、ほとんどの場合は
考え過ぎであったり的外れな考えに陥ってしまっていたりするものです。
その他の考え方のクセと同じく、読心術を使ってしまっているかどうかは自分では
なかなかわかりにくいものです。
また、中には「自分でもそんな風に考える証拠がないのは分かっている。これが考え過ぎだって
気が付いている。だけどどうしてもそんな風に考えてしまうのを止められない」と苦しんでおられる
方もいるかもしれません。
基本的に相手の考えていることは分かりません。気になるのであれば聞くしかないわけですが、
聞いても本当のことを教えてくれるわけではありません。
本当のことを教えてくれていたとしても「でも心の底では実際はこう思っているんじゃないか」と
さらに読心術で疑うことさえできてしまいます。
だとしたら相手の考えていることを把握しようとする試みは一旦手放すしかないのかもしれません。
その上でどのように考えることができれば自分の心の健康のためには良いのか、という視点でその状況を
捉えなおしてみることができると良いですね。
認知行動療法を通してこのような考え方のクセに取り組んでみることは、人生をより豊かに心穏やかに
過ごすための役に立つでしょう。
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